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清里




電話があった。「今年5月はきーひんかったけど、夏にはくるん?」清泉寮に住む京都弁の旧友からの電話・・泣けそうだった。懐かしくて。

山梨県小海線の清里をご存知でしょうか。

いまや八ヶ岳ふもとの避暑地として有名になり、中心にあるKEEP協会の運営する清泉寮は、自然保護とソフトクリームで行列が出来ています。

小泉チルドレンの合宿、紀宮様のお気に入り、天然記念物やまねの生息地、野鳥のサンクチュアリ、「西の魔女が死んだ」等 映画のロケも多いしアラスカでなくなった動物写真家の星野道夫さんも清里にゆかり深い方です。

 東京から車で3時間ほどの寒い寒いところです。そうだ、マッカサーを怒鳴った事で有名な白洲次郎さんも清泉寮の開拓に加わり、ヘブライ語の第一人者の秋吉輝夫教授も若い日に白洲さんとスコップを持って農道を作られていたとの事。

 関東大震災のあと復興支援に来たポールラッシュ宣教師が戦後再び来日し「信仰や理想主義も空っぽの胃に説くことは出来ない」といい戦後の日本の復興計画として、まず食料を確保する事にを重きを置き、清里のような高冷地でも農業が可能な事を証明するため農村コミュニティーにちからをいれました。

 KEEPという名前は彼がはじめた清里教育実験計画の事。(Kiyosato Educational Experiment Project)

1948年清泉寮が出来、農場、清里聖路加診療所、農業学校が誕生し東京ドーム40個分の広さの自然に毎年100万人が訪れます。
  http://www.keep.or.jp/ja/discover/qa.html 

 私は23歳から25歳までの青春真っ只中をこの高冷地で過ごしました。当時はポールさんの理念とか、自然保護の意識など全くなく、毎日八ヶ岳の空気を吸って吐くだけの生活でした。
お化粧化もなく、運動靴のみの生活で、本当にたらたら暮らしてました。「ただ飯ぐらい」でした。

 ホントのところ当時の仲間には会いたくないのです。無責任にちゃらちゃら働いてなまけてましたから。面白い事しかしなかったし、当時酒豪でよく酔っ払ってましたから・・

 当時の飲み仲間がどんどん前にすすんでいます。

 赤岳にドラム缶かついで登り、頂上で雪を入れてお風呂に入っていたアメリカ人JBは1988年に清里プロジェクトをフィリピンではじめ、KEEP協会が支援しています。
のん兵衛でどうしようもなかったY君が国際会議に出ており、協会自体も愛知万博で「地球市民村」として参加し、自然保護と国際協力を訴える事が出来ました。
近所の牧場でバイトしていた星野道夫君は、地球の素晴らしさを写真集に残してこの世を去り、バイト仲間もそれぞれ自分の道を進んでいるようです。

 私には何ができるかなぁ・・とまだまだ考えています。
 
 英会話カフェを始めるとき、「まったく あんたらしいなぁ」
と応援してくれた仲間を思い出し、閉店後の帰り道、清里でみたのと同じ星座を探しながら、私 間違えてないですか?とポールさんに問いかける今日この頃。

 反省しながら今日も自転車こいでます。
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